
どうも納豆臭いと思い、いよいよ我輩も加齢臭を発するお年頃に達してしまったのか?と、些か戦慄めいたもの感じたのだが、さっき食べた納豆の容器を片付け忘れていたことに気付き、思わず安堵した。
資源ごみの回収日だったので、ビールの空き缶が目一杯入ったビニール袋を両手に携えて部屋を出ると、外の路地の真ん中でお隣の幼児がウーとかアーとか言いながらくるくる回っていた。
僕が隣を通り過ぎる事を気にも留めない様子でくるくる回っている。
ウーウー(くるくる)
アーアー(くるくる)
よく分からないが酷く楽しそうに見える。
それを羨ましく思いながらごみの回収場所までたどり着き、コンテナが満タンになるほどの空き缶を捨て、スッキリした気分で元来た道を戻る。
さっきまでそこでくるくるしていた彼女はもうそこにはいなくて、僕は内心しめしめと思いながら彼女がいた場所に立ち、周りに誰もいないことを確認すると、彼女と同じようにくるくるしてみた。
ヴーヴー(ぐるぐる)
ア゛ーア゛ー(ぐるぐる)
けれども、どうしたことだろうか。
「ちっとも楽しくない」
そう独りごちる。
大人になると言うことは楽しみが減ることなのだろうか。
少し寂しい気持ちと共に、肩を落として部屋へと戻る。
恐らく二度と味わえないであろうくるくるの悦びに思い焦がれた。

今日も今日とて書くことがなかったので、体育座りをして足の指を観察していたところ、一つ気付いたことがある。
それは、
「手の指は中指が一番長いのに、足の指は人差し指が一番長い」
ということである。
今までずっと、そう言うものだと思い込んで気にも留めなかったのだけれど、一旦気付いてしまうと妙に気になるものである。
気にはなるものの、自身の指を眺めていても、そうなった理由など思いつくはずもなく、ここから先は生物の進化はおろか生命の起源から地球の誕生、ビッグバンも超えて輪廻転生を経て神々の成り立ちまで遡りそうな勢いなので、綺麗サッパリ忘れることにする。
それにしても、足の親指ってでかいよな。

背中でガタンッ!と音がしたので振り返って見ると、埃を被った電話機が傾いていた。
僕の部屋の電話機はもう何年も前から電話線を抜いたままだ。
間違い電話か勧誘か、もしくは間違ってかけてきたか営業活動の電話しかこないので煩わしく思ったのだ。
そもそも僕宛の電話は携帯にかかってくるわけで、固定電話を繋げておく必要がない。
そういえば以前、建設会社から図面と見積書のFAXが誤って到着したことがあったな。
全くいい迷惑である。
携帯電話が普及した結果、固定電話と公衆電話の存在感が薄れてきている。
電話帳もいらなくなって、アドレス帳もいらなくなって、紙が無くなって、パソコンが無くなって、そのうち僕もいらなくなったりして。
僕は仕事用とプライベート用の2台の携帯電話を持つ羽目になっているのだけれど、だんだん用途が細分化されていって、トイレ用とか散歩用とか買い物用とか夏休み用とか和食用とかカラオケ用とか東武越生線用とかなんとかなって、僕の所有する電話の数が指数的に増えていって、最後には携帯電話が僕になって、そのうち僕はいらなくなったりして。
なったりならなかったりして。

ぶった切ってひっくり返す。
右腕をぶった切って複製した左腕を取り付けたい。
などと思わずにはいられないほど右腕に痛みがあった。
けれども、デジタルデータのそれとは異なり、体を切ったり貼ったりはできないので、せめて悪化しないよう労わりの気持ちをたっぷり込めて自身の右腕を撫でてみる。
どうやら効果はないようだ。

いまいるところから、そこまで飛ぼうと思った。
飛んでみたのだけれど、飛距離が足りなくて、壁にぶつかって落ちた。
だから僕は、いまいるところへと戻った。

歌舞伎町を徘徊している。
気温34度、あまり汗をかいていない。それほど暑く感じないのは、夏に慣れたからだろうか、それとも熱中症でぶっ倒れる前触れだろうか。そんなことを考えながら歩く。
これからご出勤されるらしい夜のお仕事の方々とすれ違い、特に面白い被写体も見つけられず、とぼとぼと帰る。
それにしても、汗をかいていない。
それほど暑く感じないのは、夏に慣れたからだろうか、夏の終わりの合図だろうか。

もう8月も終わり。
ビックリするほど時が過ぎるのが速い。と言うことをここに書いたのは何度目だろうか。
自転車で西新宿らへんを行く当てもなく徘徊していたら、本当に何もなくていつもと同じすぎて安心した。
そこから東中野まで行き、やはりいつもと同じすぎたので更に安心した僕は、小滝橋のいなげやでいつものコロッケを買って大人しく帰った。
いつもと同じでいられることの素晴らしさとつまらなさよ。
家に着いた僕は充実感を感じられぬままに、生温い床へと倒れ込んだ。
慣れていく。毎日がエブリディ当たり前田のクラッカー。
そうやって、夏が終わろうとしている。

遠くへ行きたい。
眼下に広がる街の、水平線の辺りだって、地下鉄で行けばすぐ着くだろう。
そうじゃない、もっと遠くだ。
自分の居場所の問題じゃない、心の居場所の問題だ。

なんだか品が無いなぁと思った。
とにかく安けりゃいいという風潮は、今のこの残念な日本を象徴しているのかもしれない。
企業も努力をして、効率化を進めて、顧客のニーズに合わせた結果がこれなのだと思うと、余計に残念な気持ちになってくる。
まぁ、僕も僕で、こういう居酒屋にさえ行かない真性の巣ごもり毒男なんだけどね。

今夜も暑い。
寝苦しいせいで、最近睡眠時間が短くなっている気がするが、体調は悪くない。
スタッフが一人夏風邪でダウンしてしまい、その分を被って睡眠時間を削って働いたが、やはり体調は悪くない。
もしくは、恒常的に一定のラインで調子が悪い状態にいるせいで、それに慣れてしまっているのかもしれない。
今敏氏が膵臓癌で亡くなったという。
僕はちょうど先週、お盆休みに実家に帰った際、実家に置きっぱなしのパトレイバーのコミックを読破したばかりで、ひさしぶりにThe Movie2でも見ようかなと思っていたところだった。
若い人の癌は進行が早いというのは本当の話だ。
僕の取引先で、同じく癌で亡くなられた方がいる。多分40代後半くらい。
僕がその方と最後に会ったのは、彼が開発した新しいソフト用のプロモーションムービーをレビューしに行った時だった。
彼は、自分の作成した新しいソフトのレビューを満足げに行い、僕の作成したムービーを子どものような目で食い入るように見つめ、最後に「とても満足している」と言ってくれた。
その時僕は、彼が癌だなんてつゆ知らず、”なんだか元気なオッサンだな”などと内心呆れていたのだが、それからしばらくして、突然、彼の訃報が事務所に届いた。
「はい?」
僕の第一声はそれだった。
不細工なインターフェースの、デザイナーから言わせると全くイケてない、けれども仕様を完璧に満たした技術者らしいソフトを誇らしげに僕に見せる元気なオッサンの豪快な笑い声が脳みそに響いた気がした。
他人の死というのはこれほどにもあっけないものなのか。
僕は若干薄れかけていた記憶を掘り起こしながら、「まだ死にたくないなぁ」などという蒙昧な感想しか出てこない自分にがっかりしていた。
全てがフワフワしていて、何一つ定かではないように思えてくる。
寝苦しいせいで、最近睡眠時間が短くなっているからだろうか。
今夜も暑い。
寝苦しいせいで、今夜の睡眠時間も短いだろうが、僕の体調は悪くならないと思う。

「邪魔だバカヤロウ!」
怒号が響く。
深夜の道路工事。
フェンスで隔たれ普段の半分しかない狭い歩道を歩いていると、前方で大声が聞こえた。
工事のおじさんが警備員に激しく怒鳴りつけている。
確認した事はないのだが、過去の経験から、工事現場における上下関係として、「工事のおじさん>警備員」のヒエラルキーがあるらしく、警備員は随分と萎縮した様子だった。
負の感情は伝染する。
僕も身に覚えがあるのだが、怒りの感情は周囲の空気を伝って伝染するものである。
作業に携わる人は疎か通行人にまで伝染しているようにも思えた。
そうやって、おじさんの背中を蹴り飛ばしたい衝動駆られた自分も、やはりそれに汚染されてしまったのだと自覚する。
何がしたいのだろう。何の意味があるのだろう。
遠くから俯瞰するような気持ちで物事を捉えれば、大抵の事は取るに足らなく思えてくる。
それが逃避なのかすり替えなのか達観なのかは分からないけれど、そうすることが最適であると今の僕はそう思っている。

暑いのでビール(第3の)を飲む。
すると、飲み終えた頃に喉が渇く。
だからまたビール(第3の)を飲む。
すると、飲み終えた頃に・・・。
夏だから仕方が無い。
夏だから。

外へ出ると夏の終わりの匂いがしていた。
風が幾分涼しく、心地よい。
踏切の先にあるフェンスの辺りでは、そこかしこで紫色の朝顔が咲いていて、そういえば、今夏はちゃんと朝顔を見てなかったなと思い、まじまじと観察してみる。
何の変哲もない朝顔だ。子どもの頃から見ているそれと全く変わりはない。
当たり前のことである。
けれども、僕の世界では様々な事がどんどん移り変わっていくように見えて、ともすれば朝顔だって僕の知らぬ間に変わってしまっていてもおかしくないような、そんな感覚が身に染みついている自分が哀しい。
溜息をついて、再度朝顔を見直す。
何の変哲もない朝顔だ。子どもの頃から見ているそれと全く変わりはない。
下落合駅の上りホーム最後尾からよく見えるお店、「中華そば 彩」。
オープン当初はどうもパッとしない印象だなぁと思っていたのだけれど、今年に入ってから急に行列が出来るようになって、そうすると行きたくなってしまうのが日本人の性。ってことで行ってみました。

続きを読む: 下落合駅前の「中華そば 彩」でつけめん

僕は前だけを見て生きてはいけないようだ。
テレビがつまらなかったのでWINAMPを立ち上げた。
理由はわからないが、アルバムリスト欄がアルバム名の降順になっていて、一番上に表示されていたのがLUNKHEADの”孵化”という作品だった。僕はこのアルバムをとても気に入っている。
とはいえ、最近は全く聞いていなかったので、久しぶりに聞いてみようと再生してみたのだが、思い入れのあるモノには必ずと言って良いほど”記憶”が紐付いているものである。この音楽もそのようだった。
椅子に体を投げ出して目を閉じると、そこからは芋づる式に記憶の糸をたぐり寄せ、どんどん、どんどんと過去を抉り始めている。
自ら己の傷を抉り出すような事を好んで行うほど、僕は自虐的ではないはずだった。
気持ちを切り替えるために魔法の呪文、”にこにこぷん”の「あらあら、おやおや、それからどんどこしょ」を口ずさみながら、グラスにワインを注ぎ込む。
いつだってそうだった。
僕は後ろ向きになって、バックする形で前へと進んでいるのだ。
それは不可抗力として消して逆らえない”時”の経過により構築させられてしまった、過去の記憶に対する未練のようなものへの執着心だ。
10秒後の俺と今の俺はどう違うんだろう?なんて事を考えてたらもうすぐに10秒ぐらい経ってた。そこで俺は10秒ぐらいで何も変わらないって事を知ってしまった分、10秒前とはもう違ってしまったのか?なんて考えている間に10秒経ってた。そこで俺は10秒間で何も変わらないってことを知る後と前では別に何も大して変わらないってことを知ってしまった。なんて考えてたらさらに10秒経ってた。
LUNKHEAD ”孵化” 「ぐるぐる」 より抜粋
お気に入りの8曲目が身に滲みる。
全部意味なんて無いのか?

これだけ暑いと猫も辛いだろう。僕も辛いよ。
そんなわけで、猫に倣って僕も廊下に寝そべってみる。
ひんやり冷たい。
でも暑いことに変わりはない。
しばらくして猫がごろんと体の向きを変えた。
僕も倣って向きを変える。
ひんやり冷たい。
でも暑いことに変わりはない。
猫と目があった。
多分同じ事を考えていると思う。
「・・・暑い」

子どもの瞳はでっかい。
そして、大好きなプリンが顔に付いている事には気付かない。
独特の言語で話し、大声で泣き、よく寝る。
そして、大好きなプリンが顔に付いている事には気付かない。

短い夏休み。
僕の実家がある街は、最高気温の常連である街のすぐそばにあり、すこぶる暑いのは言うまでもない。
母が孫のために買ってきた線香花火を、乳児には無理だと難癖を付けて分捕り、年甲斐もなく興奮気味に火を点ける。
やはり線香花火はいい。
静かで地味で儚いところがいい。
だが、残念なことに、久しぶりに見た線香花火は何となく活動時間(?)が短く感じた。
僕が歳を取ってしまったせいで時が早く過ぎるように感じてしまったのか、はたまたデフレの影響で火薬の量が減ってしまったのか。
僕の記憶の中にある線香花火の記憶に比べて少しだけ物足りなさを感じてしまっている自分を残念に思いつつ、それでもやはり線香花火は綺麗だと再確認する。
やはり線香花火はいい。
夏休みをダラダラと満喫(?)しまして、気がつけば3GBほど写真を撮り溜め、仕方なく東京へ帰って参りました。
写真をPCに取り込もうかとしたわけですが、最近カードリーダーの調子が悪くて、ちゃんと認識されないことがありまして、今回もそんなことで何度かカードの抜き差しを・・・それが運の尽きでした。

やっちまったー!
すぐに悟りました。
データを吹っ飛ばしちまった。と。
目眩がするのを堪えながら、リカバリー方法を検索するます。
続きを読む: 写真データが吹っ飛んだ件。

世の中にはいろんな人がいるわけで。
渋谷を徘徊していたら、奇妙な人集りができていたので覗いてみると、強風に煽られたまま時間が止まってしまったらしい人に遭遇した。
もちろん写真なのでこの画は止まって見えるのだが、この人、実際にこの状態でずっと停止していたわけで、目的は定かではないが、なかなかユニークなパフォーマンスであった。
そんなわけで夏休みだ。
実家に帰って、甥の子守でもしてみることにする。